そもそも『アメニティネットワーク』のフランチャイズ本部であるアメニティ創業者の
山戸里志は、なぜ、トイレビジネスに魅入られていったのか。 1961年に都内の工業高校を卒業した山戸は、埼玉県川口市の鋳物機械加工工場へ入 社。そこでかばん持ちのように社長の営業現場を同行して歩いていた。
ここで“営業”に魅力を感じた山戸は、その後、フルコミッション制の企業に移り、事務機器、英語の百科事典といった仕事で、常にトップセールスマンとして営業の頂点を極
めていく。
65年には、コンサルタント業の日本経営センターに入社し、主に大手家電メーカーの
販売店向けにテレビ、電子レンジといった家電製品の販売のインストラクターとして全国 を指導して回っていた。 ビジネスそのものは好調だったが“コンサルタントはタレントのようなもの”と、当時
は金融機関から融資すら受けられない厳しい時代。そこで、日本経営センターの社長と山 戸は「何か自分たちでビジネスを始めよう」と新規ビジネスを模索したのだ。
耐久消費財である家電製品は、販売したら次の購入時期は約10年後。次月の売り上げ を予測し確保することは困難だ。そこで、毎月、継続的に売り上げが積み上がる商売を一
つ目の条件とした。 そして、二つ目は大資本が参入しにくい労働集約型のビジネスを条件としたのだ。 当時、新規ビジネスに頭をひねりながら訪れていたバーやクラブのトイレは、ナフタリンで臭いをごまかしているのが当たり前。「店のおねえちゃんはキレイなのにトイレが臭い
商売なんておかしい」とトイレのマーケットにターゲットを絞ったのだ。
ちょうどその頃に山戸は米国製の芳香剤と出会う。この芳香剤は15分毎にモーターでスイッチが入り、スプレーから自動噴霧されるというもの。
日中は従来通りのコンサルタント業に汗を流す傍らで、夜は錬座、新宿、六本木といった繁華街のバーやクラブに自ら営業に歩いた山戸。このトイレの芳香剤の定期交換販売は当然のように大当たりし、見る見るうちに顧客件数は伸びていったのだった。
(つづく)
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