天職!トイレにかける物語
No.02 兵庫県神戸市/メディスポ(下)

 1995年1月17日午前5時46分52秒。震度7の大激震が阪神・淡路を襲った。メディスポ(兵庫県神戸市)開業から3年目、常務取締役の寒川奉訓(さんがわ ともくに)は、新年冒頭に「今年こそ『アメニティネットワーク』事業を軌道に乗せる勝負の年!」と目標を掲げた矢先のことだった。

 当時、寒川と同じマンションに住んでいたアメニティ本部からの出向社員(現・アメニティ専務取締役)と命からがらマンションの外に出た二人は、目の前に広がる光景に愕然とした。廊下も階段もコンクリートがひび割れて塊が落下。壁や床から鉄筋がむき出しだったからだ。
「伸孝君!横浜(本部)に連絡をとれ。私は社員の安否を確認する」。幸い、井上浩一をはじめ4名の社員全員は無事で、社屋も地盤崩落の影響はまともに受けずに済んだものの、一旦、親会社のある高松へ戻って次善の策を考えることとなった。

 死者6434人、重軽傷者4万3792人、全半壊家屋27万4181棟、焼失家屋約7500棟、避難者約35万人という大惨事となった阪神・淡路大震災。街は壊滅状態で復興への道は厳しく、阪神・淡路の商店や企業は会社存続のために、解雇・リストラをせざるを得ない状況だった。

 当然、メディスポも苦しい決断を迫られた。香川にある親会社のフレイン(三日月善夫社長)は、メディスポを閉鎖して社員は高松で再雇用しようと考えていたという。しかし、寒川は「アメニティ事業はやがてフレインの柱になる!苦難の時こそ踏ん張り時だ」と、社長に事業継続迫った。

 震災から15日後、メディスポは混乱が続く神戸で営業を再開した。当初、顧客数は20%にまで減り、売り上げゼロが約3ヵ月続いた。社員と共に得意先の安否を尋ね歩き、無事であればボランティアでトイレメンテナンスを続けたからだ。この時、メディスポを支えたのは本部や全国のアメニティネットワークの同志である加盟店だった。そして震災から1年が経つ頃には、90%の顧客数にまで戻った。「アメニティ事業は間違っていない!」寒川の心に、トイレサービスの将来がはっきり見えた瞬間だった。

 震災から6年後には年商1億円を達成、2009年11月には念願の新社屋も購入。現在、11名の社員を抱え、常にトップ・スリーに名の挙がる優良加盟店へと成長したメディスポは今年19期目を迎え、さらなる挑戦は続く。

『FRANJA』(フランジャ)62号掲載 2011年3月15日発行

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