御手洗銀三のトイレコロジー
No.53 不可能を可能に

 2009年7月22日は46年ぶりの皆既日食だった。時代が変われば、世界の終末だと大騒ぎとなるところだろうが、今や天体ショーのイベントと化した。
 それにしても、この自然界が織り成す現象を前にして、改めて人の力は微力なものだと思い知る。

 ナポレオン・ボナパルト (1769〜1821年) は、「余の辞書に不可能の文字はない」と言ったとして知られている。ナポレオンの爪の垢を煎じれば、世の中は思うようになるのかも知れぬ。
 しかし、「ナポレオンの辞書に 『不可能』 はなかったが、『痔』 という文字はあった。そして、この痔が歴史を変えた」と、「痔の散歩道」と称するホームページに出ている。「フランス皇帝にまでなったナポレオンだが、結局、1814年にエルバ島に流された。しかし、翌年にはエルバ島を脱出し、ナポレオン最後の戦いとなったワーテルローでイギリスのウェリントンが指揮するヨーロッパ連合軍に完敗。その後にセントヘレナ島に幽閉され、そのまま51歳で死亡した」とある。

 ワーテルローの戦いでは、ナポレオンに決定的な勝機があったとされるのに、結果的に敗北しているのはなぜか。この敗北の要因となったのが、どうやら彼の痔の痛み″と大いに関係があるようなのだ。「ワーテルローの戦いの前のリニュイでフランス軍は勝利を収めている。いつもならば、ナポレオンはこの勝利の勢いに間髪を入れず勝利したはず。ところが、彼は痔の痛みでほとんど一晩中まんじりともできず、疲れ果ててやっと8時にのろのろ起き出した。彼は数時間にわたって何の命令も発せず、将軍たちを切歯扼腕させたが、その間に連合軍が態勢を立て直し、フランス軍の緒戦の勝利はふいになってしまった」というのだ。
 フランス語で痔を「Hemorroides」という。日本語風に読むと「屈へ脆いです (へ、モロイデス)」か!?不可能はないと言ったとされるナポレオンも、自らの意思で身体の痛みに逆らうことはできなかったのだろう。

 次の皆既日食は26年後だという。大自然を前にして、我々が'今へ出来ることは環境負荷を少しでも軽減すること。それは不可能ではないはずだ。

『FRANJA』(フランジャ)53号掲載 2009年9月15日発行

御手洗銀三のトイレ談論へ