御手洗銀三のトイレコロジー
No.39 快適の代償

 現代の最大の変革に「トイレ文化の革命」がある。和式から洋式への移行、お尻を紙で拭きとる。そして、洗って拭く洗浄便座の誕生。
 最近では自動化も進み、トイレの照明も自動点灯、便座の蓋も手を触れずに自動開閉。用を足した後は、衣服を整えている間に、自動洗浄で排泄物は惜しむ間もなく水に押し流されていく。
 お尻を出すこと以外は、全てがノータッチ、衛生的で快適だ。

 
でも待てよ!このトイレ革命の方向は、何か間違ってやしないだろうか。
確かに、身体に障害を持つ人や、足腰の弱くなった高齢者にとってはありがたい。だがしかし、元気な健常者がこんな環境に身を任せていたら、きっと失うものがあるはずだ。
そして、次代は「戦争を知らない子供たち」ならぬ「汚れを知らない子供たち」による国家が出来上がる。

 幼少の時期から暖かな便座に座り、何もかもが自動で処理してくれる。そうした環境で育った結果、子供たちの将来はどうなるか。戦争を知るから平和の尊さを知り、平和を希求する。同様に「汚れとの共存」こそが「快適」を創り上げる原動力にもなる。
 阪神・淡路大震災のような緊急時には、野外で用を足さざるを得ない時もある。海外に行けば、後進国は勿論のこと、花の都パリでさえしゃがんでする「トルコ式」が公衆トイレには多い。足腰の弱くなった日本人に耐えられるか心配だ。快適な文化と享楽・堕落の文化との差は紙一重だ。

 洋式トイレを愛用する人には、「健康を考える人は、足腰を鍛えるのに相応しい和便器を御利用ください」と書こう。洗浄便座があれば「お尻を洗うノズルに糞等の汚れが付着していることがあります。試用前に必ず自分の目で汚れを確認して下さい」と表示しよう。
 一昔前は、「急ぐとも西や東に 垂れかけるなよ 皆見(南)る人が汚(北)なかりける」とか「急ぐとも 心静かに 手をそえて 外へもらすな 朝顔の露」と言う貼紙が達筆に書かれていた。公衆トイレなどに駆け込めば「よく来たな。まあ座れ!」と落書きがあって、思わず噴き出しそうになった。
 心が和むトイレ模様である。

 人間は、苦労するほど磨きがかかる。「何もかもあなた任せ、自分だけが快適な環境に生活する」そんな日本人が増えつつある今、トイレ革命と人間教育は、同時併行で進めなくてはならない。

『FRANJA』(フランジャ)39号掲載 2007年5月15日発行

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