御手洗銀三のトイレコロジー
No.35 「御閑所政治」で平和を願う

「北朝鮮のミサイル発射問題を巡り、国連安全保障理事会は日米などが共同提案した決議案を全会一致で採択した。北朝鮮への制裁に難色を示す中国やロシアに配慮し、制裁などの根拠となる『国連憲章7章』の文言を日米両政府の修正案から削除した」

 この一報が朝一番のニュースで流された時には、寝起きのボンヤリした頭が一気にシャキッとしたものだ。拉致問題といい、ミサイル発射といい、隣国の北朝鮮に踊らされっぱなしの日本である。

 日本の歴史に残る戦国大名の武田信玄は、川中島合戦の秘策を御閑所(便所)で練ったという。
「甲陽軍艦」という甲州流軍学書によると、信玄の御閑所は刺客からの難を避けるため「京間六畳敷」と呼ばれる広々とした空間だったらしい。そこでは香炉を置き、朝・昼・晩と家来を輪番させて香の薫りを絶やさなかったという。信玄はこの御閑所を愛用したばかりか、諸国から送られてくる書付をここで閲覧して実否を判断したようだ。

 仙台の伊達政宗は「厠上読書」の達人だったというし、熊本の加藤清正にいたっては、便所で高さ一尺(約三十センチ)の高足駄を愛用していたという記録が残されている。
 群雄割拠の乱世を生き抜いてきた彼らは、便所という世間と隔絶された場所でせめてもの孤独を愛し、一人、心を落ち着けていたのである。

 翻って2006年の我が日本である。彼らのような歴史に残る智将・名将に再度ご出馬頂いて、北朝鮮問題を見事解決してくれれば……などと夢のようなことを考えるこの頃だ。

 一方、平壌の将軍様の便所は、一体どうなっているのかと想像力をかきたてられる。まさか、そこまで軍事工場なんてことはあるまいと苦笑しつつ、「いや、そうでもないか・・・・・・」。
 なぜなら、日本でも江戸時代、秘境の「越中五箇山」(富山県)で煙硝を製造していたのだが、その火薬の原料となる人工の硝酸カリウムは人や蚕の尿から生成されていたからだ。便所とて爆発物の危険が一杯なのである。

 国際的に追い詰められた将軍様が自暴自棄にならないことを祈りつつ、日本では自暴自棄を「便所の火事」とも表現することを思い出した。
「自棄糞(やけふん)(焼け(やけ)糞(くそ))」なのである。
 北朝鮮の脅威とやらに世界中が振り回されるような時代に一刻も早く終止符を打ち、平和をベースにトイレ先進国家を仲良く競い合いたいものである。

『FRANJA』(フランジャ)35号掲載 2006年9月15日発行

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