御手洗銀三のトイレコロジー
No.34 法律とトイレ

憲法改正の論議が国会を賑わす中で、今年の五月三日、与野党の憲法論議がテレビ討論という形で放映された。

 自由主義、民主主義といっても実に沢山の法律があり、しかも、年々、改正、新法が制定される。それが進んでいくと、人間は法律のために生きるような逆転現象もあり得る話だ。とかく、法律は難しく、弁護士を養うために法律があるのかと思われるくらいだ。一般の善良な市民にとって本当に必要な法律かどうかを判断するのも難しい。

 ところで、トイレは究極のプライベート空間というが、確かに、トイレの中は個人が最も尊重される自由空間になっている。「トイレ使用中」の人間に法律が適用されるといった話はあまり聞かないし、仮に法律違反で逮捕されるとしたら、卑劣なのぞきや盗聴、盗撮くらいのものだろう。

 勿論、トイレの中が悪質な犯罪の温床になることもある。しかし、他の生活空間から見れば個人の自由を奪う法律は極めて少ない。個人が最も尊重される、この空間だからこそ、法律が入り込む余地はない。

 法律でがんじがらめにするのではなく、むしろ、スポーツや芸事にマナーやルールがあるように、それぞれの専門分野で倫理観を高めていく方がはるかに世の中を明るくするのではないか。

 そういえば、日本トイレ協会会長でもある西岡秀雄・慶応義塾大学名誉教授の「トイレと法律」の話題で忘れられない話がある。
「路上にウンチをしたら、その所有権は誰のものなのかと、知り合いの弁護士に聞いたら『それは遺失物です。だから、本人の所有権』と言っていたが、違う弁護士によると『それは廃棄物。だから、本人には所有権はない』と主張する。また、別の弁護士に聞けば『いや、所有権の問題ではなく、認知、不認知の問題』といわれたよ」

 なるほど、これこそが法律なのか!?

『FRANJA』(フランジャ)34号掲載 2006年7月15日発行

御手洗銀三のトイレ談論へ