御手洗銀三のトイレコロジー
No.27 地球と人類とトイレの共存!

 「愛・地球博」(愛知県)が三月二十五日にスタートした。テーマは「自然の叡智」。これから半年にわたって開催される。京都議定書も無事二月に発効され、環境社会はお題目ではなく、まさに実践の時代に突入した。

 二十世紀は環境破壊の世紀だったと思う。世の中に流通するもののほとんどが石油から生まれたモノに変わり、エネルギー資源も石油に頼った。日本中が石油素材の商品で埋め尽くされた。
 三十五年前の大阪万博 (1970年) は、近代技術の粋を集め、科学振興で夢を描いた。が、それもこれも石油資源、大量生産・大量消費という環境条件がそうさせたと言える。その結果は地球がポロポロ、環境悪化に拍車がかかった。

 渡辺信一郎氏の著書『江戸のおトイレ』 に、「江戸の町は18、19世紀には、世界に冠たる大都会であった。ヨーロッパの各都市が、糞尿を窓から街路に投げ捨てていた頃、江戸の町ではそれをリサイクル的に巧みに処理し、機能的に人間生活へと還元していた」とある。

 現代のトイレは水洗式、便座式、暖房付き、温水洗浄・温風乾燥など、利用者には快適、清潔、簡便であるが、地球にとっては非生産的であるだけでなく、水の富栄養化などマイナス面を助長してもいる。
 地球博のテーマは「地球と人類の共存」でもある。都市部と農村部の生活様式が類似しているのは、一向に差支えないが、地域ごとにライフラインの仕組みを変えて、ときにあの懐かしい汲み取り集落があってもいい。もちろん、農産物は健康な排泄物で栄養豊富な肥料で育てる有機農法である。

 「糞漬けの簪 村の嫁は買い」という江戸時代の川柳があるが、汲み取った持ち主不明の簪を、肥取りは自分の村に持ち帰り、時価の半値以下でその村の嫁さんに売る話だ。銀製の簪であればかなりの価格であった、という話だが、ウンが良ければ思わぬ副収入も期待できたとか。

『FRANJA』(フランジャ)27号掲載 2005年4月15日発売

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