御手洗銀三のトイレコロジー
No.25 天災で見た災害弱者の勇気と強さ

 わが社の社員が、台風二十三号上陸の翌日、急遽兵庫県の西脇市まで帰郷した。高齢のご両親が住む実家が床上浸水したためだ。一日置いてその翌日、新潟県中越地震発生である。震度五〜六の余震が頻繁に続き、被災者は八万五千人を超えている。呪われたかのように集中する天災に、改めて人智の及ばない大自然の強大なエネルギーを思い知らされている。

 そうした天災に巻き込まれて、災害弱者となるのは、いつも高齢者や子供達である。
 しかし、相次いだ災害時に、そんな高齢者と子供達の ″九死に一生”を得たニュースに心救われた方も多かったろう。
 洪水に飲まれたバスの屋根に、三十人が避難して救助を待っている映像は、ニュースで何回も流された。そのバスが、強い濁流に流されそうになった時、単身泳いで傍の木に掴まり流れてきた竹を手に、木とバスを繋ぎ救出されるまでを支えきった老人がいる。絶体絶命の時に人の真価が発揮され、大自然も脱帽した話である。

 そして、新潟県中越地震では、親子三人の乗ったワゴン車が土砂崩れで押しつぶされた。残念ながら母親と三歳の女の子は亡くなってしまったが、あのような状況下でハイパーレスキュー隊の身を挺しての救出作業には感動を覚えた。地震から九十二時間後に、二歳の男の子が無事に救出された時には、誰もが熱く込み上げるものを感じたに違いない。

 いくつもの偶然が重なった奇跡といわれるが、わずか二歳の子供が本当によく頑張ったと思う。天の降した災害でライフラインが崩壊した非常時だが、強くたくましく、復興を予感させる出来事でもあった。
 被災者がまず望むことは、身を守る住居であり、暖かい食事である。と同時に、この時ほど、安全で快適なトイレを要求されることはない。
 私に出来ること。それは、社員たちと休日返上で、被災地のトイレ磨きに行くことだ。

『FRANJA』(フランジャ)25号掲載 2004年12月15日発売

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