御手洗銀三のトイレコロジー
No.23 トイレ清掃と人格形成の相関

「イラクのフセイン元大統領は独房にいる。その独房に清掃員はいない。
囚人服を着た元大統領自身がトイレ清掃をしている」と外電は伝えた。
「イラクの旧政権下では、学校の保守や整備などに予算がなく、子供たちは床や壁が剥がれ落ち、窓ガラスは割れ、電気も飲み水もなく、トイレも使えない状態の中で勉強している」と特定非営利活動法人ジェン(JEN)のホームページには掲載されている。

 独裁を極め、大勢の国民を虐殺したフセイン元大統領が、独房の中で自ら使用したトイレを磨いている。その一方で、気温が摂氏五十度を超える夏に、きれいな水も飲めず、お腹が痛くてもトイレに行くことができない子供たちがいる。彼らがうだるような暑い教室で勉強しているという現実に考えさせられることはあまりにも多い。

 一方で、日本にはトイレ清掃を通して人格が形成されるという考え方がある。実際に私立学校などでは、教育の一環として生徒たちにトイレ清掃を義務付けているところもある。

 企業においても「トイレ清掃はビジネスマンの基本」という理念の下、社員教育を徹底している会社もある。
 そして家庭生活においても「トイレを見ればその家が分かる」と親が子供たちを教育している。今も昔も、トイレと人格形成は不可分と考える世の指導者は多い。

 フセイン元大統領の両親は、彼の子供時代にトイレ清掃をさせなかったようだ。
「自分が汚したトイレを清掃することは、後に使う他人への思いやりでもある」というようなしつけを幼少の頃から教育されていたならば、自国民を容赦なく虐殺したり、他国に戦争を仕掛けたりする独裁者ではなく、イラクの子供たちに明るい未来と平和をもたらした名宰相、国際平和の貢献者となっていたかもしれないのに‥‥‥。

『FRANJA』(フランジャ)23号掲載 2004年8月15日発売

御手洗銀三のトイレ談論へ