御手洗銀三のトイレコロジー
No.18 連れション≠フ効用を説く

 「神奈川県のある小学校が小便器を廃止した」という記事を読んだ。
子供達が学校で大便器を使用すると「うんこした!」「くそったれ!」と冷やかされ、いじめられることから子供達を守ろうという、大人達の愛情に満ちた(!?)発案らしい。

 八月最後の日曜日、我が社では若い社員達主催による野外バーベキュー大会を開催した。昨夏に続いて二回目で、普段会うことのできない社員達の奥さんや子供達も集まり賑やかなアウトドア・パーティとなった。私にとっては孫が一気に増えたような楽しい一日であり、恒例行事になりつつある。

 さて、この愛すべき子供達を眺めながら、彼らは成長過程で「おしっこ」と「うんこ」の排泄の区別をどう学ぶのか?という疑問が頭をよぎった。男の子にとって、トイレには小便器と大便器が用意されており、おしっこは小便器で、うんこは大便器で用を足すことを自然に学習していくはずだ。

 そのおかげで、男同士の「連れション」が成立する。相手から危害を加えられる心配がなく、肩の力が抜けるからか、並んで用をたす時の会話は概して平和な話が多い。連れションしながら喧嘩している情景は見たことがない。

 男にとって、小便器使用時はコミュニケーションの場でもある。「大便をして冷やかされるから、すべての排泄を個室に」と考えた大人は誰なのか。便所やトイレという言葉に、ますます暗いイメージを助長しているようなものだ。

 むしろ、トイレは健康の源≠ナあることを教え、その役割に感謝させる教育をすることの方がずっと有益である。輝かしい二十一世紀を担う子供達に「問題から避けて通る」ことを奨励するのでなく、「何事にも堂々とぶつかっていく」たくましい生き方を教えることこそ、社会にとっても国家にとっても大切なはずだ。

 子供たちの両親よ!父親は子供達に夢と希望を語り、母親はマナーや優しさを教えてほしい。冒頭のような小学校に教育を任せてはいけない。世界のどこへ出しても、堂々と対話のできる子供達に成長してもらうためには、生活の小さなシーンのコミュニケーションも大切だと思うのである。

『FRANJA』(フランジャ)18号掲載 2003年10月15日発売

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