御手洗銀三のトイレコロジー
No.7 "トイレ"でワシも考えた

 最近、仕事以外の心配が結構増えた。九月十一日のアメリカの自爆テロ以降、新聞・テレビでアフガン空爆や炭素菌テロのニュースを見聞きすることが日課となった。

 タリバンはイスラムの聖戦だと言い、米国は自由社会に挑戦するテロへの戦いだと言う。確かにニューヨークの同時多発テロの惨劇は、やり場の無い悲しみと怒りを覚える。しかし、米国の空爆を逃れ、難民となって行き場を失う大勢の人々にも心が痛む。日本人として、何もしてやれないから・・・なおさらである。

 一日も早くこの惨劇を終わらせて欲しい。

 今朝も、我が家でのトイレタイムに新聞のそんなニュースを見ていた。自分のモノを見ながら、今日も体調が良好なことに小さな平和を感じる。「ニュートンは、りんごの落ちるのを見て引力を発見した。が、そのニュートンも、毎日トイレで落とす自分のモノを見ながら引力を発見できなかった・・・。」慶応大学名誉教授で日本トイレ協会会長の西岡先生が話していた。

 まつげのように自分の身近になればなるほど、見えるものも見えなくなってしまうのだろう。

 日本では、今、りんごの落ちるのを見るようにアフガンの悲劇を見て、平和の尊さを噛みしめている。

 平和を武力でもぎ取ることはできない。結局は、相手の文化を認め合うことが平和の絶対条件なのだ。

 事業に携わる経営者は、相手を知ることに最大の関心を払う。顧客の生き方を認め、そこから営業に入っていくのだ。その大切さを知っている事業に失敗はない。

 外交不在といわれている日本にも、トップセールスマンが欲しい。今からでもすぐに、アフガンに平和の素晴らしさを売ってこられるのに・・・。

『FRANJA』(フランジャ)7号掲載 2001年12月15日発売

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