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銀座・新橋を中心に芳香剤の定期交換サービスが軌道に乗り始め、横浜にも広がりを見せていました。しかし、そんな矢先に、思いもよらない“大きな事件”が起こったのです。
特販事業部には、甲斐という青年がいました。ある日、彼が横浜・中区を飛び込み営業していた時、大口の営業先を見つけてきたのです。そこは、今でいうフランチャイズのようなところで、「うちでも芳香剤サービスを始めたい」という話になり、営業所の保証金として約300万円を預かってきました。
私は、清野氏から「横浜には同じ商材を扱う会社はない」と聞いていたため、競合がいない前提で契約を進めてしまったのです。ところが数日後、すぐ近くに同じ商品を扱う会社があることが判明しました。つまり、「競合はいない」という情報が誤りだったわけです。さらに悪いことに、その大口の営業先が反社会勢力であることも分かりました。
300万円を預かっている以上、「話が違うじゃないか」とクレームになるのは当然です。吉岡社長もさすがに慌て、「すぐに謝罪に行こう」ということになりました。謝罪には、佐々木部長と私の2人で向かうことになりました。車中で私は考えました。「映画のように、指の一本や二本は覚悟しなければならないのか・・・。」腹を括るため、横浜・中区の洋品店に飛び込み、新しい下着と晒に着替え身を整えました。佐々木部長は青ざめていましたが、私は「腹が減っては戦はできぬ」と、佐々木部長をラーメン屋に誘いました。しかし「車で待つよ。」と空返事。一人まったく味がしないラーメンをすすりました。その筋の世界を知ってか知らぬか、映画でしか観たことのない世界・・・本当の修羅場を知らぬ所以か。
佐々木部長があまりにも青ざめているため、私は一人で相手の事務所に行くことになりました。事務所は、雑居ビルのひたすら暗く長い階段を上った先にありました。黒ずくめの男が立っていて、奥の部屋から親分を呼びました。現れた親分は思っていたよりも紳士で、こちらが謝罪したことで話は収まりました。この一件は、吉岡社長が生前、娘婿の山本君に何度も話していたそうで、今でも山本君と会うと、この話で盛り上がることがあります。
この事件の後、芳香剤メーカーが次々と参入してきました。米国ハワイ生まれのリエン・ケミカル、京都の栄光社。リエン・ケミカルの芳香剤は香りが強く、交換にまわる担当者から「食事にまで香りが移る」というクレームが多く、扱いに苦労しました。一方、栄光社はナショナルショップの指導先でもあり、製品の品質も安定していました。最終的に、私たちが扱う芳香剤は栄光社製に決まりました。
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