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次の勤め先は、グロリアインターナショナルで、約5年間勤めました。主にエンサイクロペディアインターナショナルと言う英語の百科事典を販売する会社でした。事務所は秋葉原にあって、会社の新入社員は、毎週募集していました。私にとっては「英語を学び直せるチャンスかも知れぬ」とも思ったものです。
当時の上司達とは、普段は中々会うことはありませんでした。しかしたまに会って話をすると面白い人達でした。英語等も多分、相当に出来そうだなと感じました。 新人達は新卒のメンバーが多く、英語ができるかどうかは分かりませんでしたが、人との会話は正に日本語の嵐であったので、本来「英語を学べる」と言う私の目論見は大きく外れてしまいました。あわよくば「日常の言葉を英語でできるセールスマンを目標に」と思っていましたが、どうやら中身はだいぶ違っていたようです。やはり営業のできるセールスマンを募集していたのです。
それはそれとして、まずは100冊の百科事典を販売すればゴールドのバッジが貰えて1冊当たりのコマーシャルが大きくなると言う事で、それを目標に据えて仕事を始めることにしました。まずは1年がかりの大仕事でありました。 初めの1年間は、あっという間であった。2年目になってからは大勢の部下達ができました。部下達と過ごす時間も多くなりました。
我が部には、当間氏の課と遠越氏の所属する課の二課があり、毎日なかなかに優秀な成果を出していたのです。そのため、我が家は毎日営業マン達の報告で湧いていました。時代が時代ですから、夜遅くまで皆が仕事をしており、プライベートと仕事の隔てはありませんでした。毎日のように二人の班長達が素晴らしい成果の話をしてくれて、翌日からの課員達に益々やる気と言う栄養をつけてくれていました。
私は、日々部下達に営業の肝を教えることが仕事になっていました。「我々のお客様になる人々は、英語を初めて学ぶ中学生が、私達のお客様になってくれるのでしょう。彼等に対して、エンサイクロペディア(百科事典)等の購入等の後押しをしてあげる事が我々営業マンの最大の仕事だ」といったことや、その為には「ご両親に対し英語の大切さを認識させることが肝心なのだ」などと言ったことを伝えていきました。営業というものは妙なもので、お客様に買っていただくことが目標であるのに、手慣れてくると次第に売ることが目標になってきてしまうものです。肝心なのはお客様に買っていただくために必要なことを考えることです。決して小手先の技などで売ることではないのです。
一課の当麻課長と二課の遠越課長は真逆でしたがそれぞれの良さがありました。一課の当麻課長はいつも自らの体験を話してくれるので、課員達の人気は抜群でした。彼は昨日まで、電信柱に上って電線を切ったり結んだりしていましたが、今日は白いワイシャツにネクタイを締めて、英語の百貨辞典を売って歩いているんだぜ!と、言いながら楽しい話をし、しばしば課員達から笑いの渦が巻き起こっていました。当間さんの漫談調の話に対し、もう1人の遠越課長のお涙頂戴の話も、やはり心に残るのです。
二課の遠越課長は、話しが実に上手でした。中学生の子供達が、目の前にあるエンサイクロピデアが欲しくなると、お父さんの思い切りを待つ様になります。 20巻で一冊の百科事典を読むとなると、付録を付けて総額が30万円にもなるので、購入も毎月5,000円が60ヶ月に及びました。当然、買える家と買えない家があります。
この時に、遠越課長の素敵な話が出て来るのである。
サトシ君!今日は英語の百科事典をいきなり勧めてごめんね。当然、お父さんの都合を考えてからにしよう。サトシ君、お父さんは、決して君に買ってあげないとは言ってはいませんよ!勉強のためならと思っているんです。次におじさんが来る時は、又、改めてお願いしましょう。
ところで、今日はサトシ君に、貴方のお父さんやお母さんのお話をして帰りましよう。 君と同い年の〇〇君と言うお家で、お聞きしたお話なんですけど、このお話を聞いた時、思わず涙を流してしまったんです。皆、父も母も同じなんですね。
そのお話しは、〇〇君が眼の病気で歳が経つに連れ益々悪くなり、両眼とも段々見え難くなってきたので、手術をする事になりました。実際に使っている眼を移植するしか無いとなり、お母さんの眼を移植しました。手術が終わって何ヶ月か後に、包帯を取る事になりましてご両親もご一緒に、包帯を外しました。 ところが今回は手術に失敗したのです。もう一度、再手術に挑戦する事になりました。今回はお父さんの眼を移植する事に決めたのです。
やはり、今回も何ヵ月後に包帯を取りました。 お父さん目ではっきり見える様になりました。 こんな話をお土産でくれた英語の百科事典のセールスマン! 遠越課長の素晴らしい話を聞かせてくれたセールスマンに後々親御さんから、お礼の手紙を頂いていると言う話を時々聞いている。
それまで、神奈川アスターやグロリアインターナショナルにて様々な多くの営業マンと出会いました。一長一短はあれど、営業について研究し、人に教える度に、人とのつながりとは?営業とは?果たして売ったきりで本当にいいのか?など様々な疑問も増えていきました。私は半ば、自分が社会に提供すべきモノについて考えるようになっていました。
余談ではあるが、この頃に出会った部下達は、50年以上経っていますが、今でも時々連絡をくれます。社長とか会長と言わずに、相変わらず私のことを「部長」と呼ぶ昔の部下達がいるのは、面白いものです。 |